Loving Angels -NADIA-

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ハイヤーセルフについて

Vol.2 ハイヤーセルフとの対話〜エゴについて〜

ハイヤーセルフから一番大切なこととして「エゴ」との付き合い方、「エゴ」の見分け方を知るようにと言われた私は、子供の頃から妖精と遊んだり、読書も大好きで、その物語に入り込んで楽しむ想像力の豊かな人間でした。その豊かな想像力が逆に、人生や自分自身に対する恐怖、不安がきっかけとなって、時として壮大な「エゴ」のドラマを作り上げてしまっているというのです。そういう時の私はまるで子供が物語を読んでいて、その主人公になったかのように、エゴが作り出した舞台に乗ってしまい、そのドラマの中でエゴの書いた脚本の通りに動こうとしているのだというのです。

"A course in Miracles" に関する著書で知られる心理学者のKenneth Wapnick博士も、こういったエゴのやり方について「エゴが見せるビデオとハイヤーセルフ(true-self)が見せるビデオの違い」と言った形で表現しています。

エゴのビデオにスイッチを入れたとたん、流れてくるのは恐怖、不安、疑心です。しかしハイヤーセルフのビデオには、平和、安らぎ、幸福が溢れているのです。私達人間が神聖な存在なら、平和、幸福を感じるのは真実のものからのみに違いないのです。それが神聖なものの本質であるからです。

このことは天使からもメッセージを幾度となくもらっていましたし、私の中では確信としてありました。では、私はエゴのビデオとハイヤーセルフのビデオのどちらのスイッチを押せばいいのでしょうか。答えは火を見るよりも明らかです。

しかし私はまだ、そのやり方がよくわかりません。人間ですから、どうしても目の前の出来事に左右されますし、目に見えることに重きを置くことが多くなります。
「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう。きっともうだめなのではないか。もう私には無理なのではないか。けどやっぱりやってみたい。でも・・・」
と逡巡してしまいます。

そんなときの私はまさにエゴが作った舞台に乗り、エゴの書いた精密な脚本の通りに動き、本当は着たくもない衣装を着て役を演じているのに他ならないのです。でも元々はやりたくもない舞台に立っているわけなのですから、自分から降りればいいだけです。衣装を脱いで、脚本を舞台に叩きつけて、「こんな舞台はもううんざり!」と捨てセリフを残して去るだけです。それはよくわかっています。

でも、そこまではできたとしても、私は最後に衣装まで脱ぐ勇気がないのです。脱ぎかかっても、それはなかなか完全には体から離すことができません。なぜなら今まで、この衣装を脱がずに、あるいは舞台を自分から降りることができずにいることがとても多かったからなのです。

つまり、エゴの舞台に立つことが私の人生の中でパターン化され、その一部にさえなっていたからです。私は愕然としました。「ああ、どうしたらいいの?」思わず天を仰ぐと、「天使がいる。」という声が聞こえてきました。「そうだった!天使、どうか助けてください。」そうするとたくさんの天使達がやって来て、重たく圧し掛かって自分だけでは脱げずにいた衣装を脱ぐのを手伝ってくれたのです。

安堵感と清々しさで私の胸は一杯になりました。余計なもの、望まないものを脱ぎ捨てた私は、颯爽として舞台を降りることができるでしょう。

ハイヤーセルフとの対話と、天使の大きな助けによって従来繰り返し見ていたエゴのドラマではなく、自分なりのエゴを克服する新しいパターンを、私はようやく、ひとつ作り出すことができたようです。

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